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任天堂のすごさは金だけで作られるものじゃない

2007年11月11日 | カテゴリ:広告・マーケティング
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すこし前の記事になりますが

任天堂のすごさを垣間見たとき
http://d.hatena.ne.jp/ksh/20071108/1194526972

という任天堂のサポート体制の素晴らしさについて書かれた記事があり、それに対するはてブのコメントで

つまり、任天堂は製品の修理を「アフターサービス経費」じゃなくて、「広告宣伝費用」として、計上しているというだけの話。どんだけ余裕の黒字なんだよ、と言うべき。 ↑まったくオメデタイ人間ばかりだ↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/ksh/20071108/1194526972

というものがあったのですが、そんな単純な話じゃないだろうと。

まず、任天堂はもちろん丁寧なアフターサービスが結果的に自社のファンを生むことは理解しているだろうけれども、それが膨大なコスト(「広告宣伝費用」ね)に見合うほどの効果を生んでるのかという経営的判断は非常に難しいわけです。もしかしたら大損をしているのかもしれない。明確に得ならどこでもやるだろうし、でも現にソニーもマイクロソフトもそんなことやってないわけです。

そのような「何を重視するか」という判断の差異は、企業文化の違いに依ります。それにそもそも、「丁寧なアフターサービス」と簡単に言うけれども、末端のスタッフにまでその精神を浸透させることは、そんなに簡単ではありません。

交通事故でボロボロになったゲームボーイが無料で手紙付きで帰ってきたり、ファミコンが故障したので本社に持って行ったら社長室に招かれたり、本体ごと交換修理になったDSが無償な上に貼ってたシールまで元のまま貼り直されて帰ってきたり、そういった数々の伝説がすべて真実であるとするならば、これはもう、単純に金だけで実現できるようなサービスレベルではないわけです。長い年月をかけて醸成された企業文化の下地無しにこのサービスレベルは有り得ないでしょう。

予算に余裕があるから、などという(もちろんそれも事実ですが)一面的で浅はかな指摘で任天堂のすごさを語ることはオメデタイと言わざるをえません。金が大事なのではなくて、その金を何に使うかが大事なのであり、ユーザはサービスの質自体に感動しているのではなく、そのようなサービスを提供する企業の姿勢に感動しているのですから。

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